はつはな果蜂園・宮島養蜂場を訪ねて


レポートする人
金子史子さん

大学教員として働く傍ら、週末は実家の畑で野菜づくりに励んでいます。
「農」に関わることで出会う、ひと・もの・ことが
人生を豊かさにしてくれるなぁと感じています。


宮島の原生林の中に

宮島口からフェリーで島に渡り、狭い山道を通ってぐるりと島の裏側を目指します。道中いくつか綺麗な浜があり、鹿の群れにも遭遇。緑の深い道を通り抜けた先の山の中、宮島農園さんの一角の、宮島の原生林が残るその場所に「はつはな果蜂園」はあります。

園主、松原秀樹さん

松原さんは中高時代を広島市ですごし、東京の大学に進学。その後は東京のIT関連企業に勤務し、ご家族と暮らしていました。やがて農業や食の安全、高齢化や故郷・広島への想いなどから東京で農学校に通い、蜜柑栽培を志し、そして養蜂に出会います。

「子どもの頃からばあちゃんちの畑の手伝いをしたり、土いじりをするのは嫌いじゃなかった」と話す松原さん。「人生100年時代って言われるようになって、定年も延びていくなかで、80になってもスーツ着て営業っていうのは…って思ったよね」と、さまざまな想いが交錯して決意した転身。現在は広島県廿日市市で、母方の実家の跡取りとして柑橘栽培と養蜂を行っています。

想いとこだわり

養蜂の場所は、安全な蜂蜜づくりのため環境にこだわって厳選。広島県内の沖美町・宮島町・大野町・湯来町に巣箱を設置し、季節に応じて移動。蜜蜂の健康管理や衛生管理(ダニの発生の予防)にIT技術なども取入れ、徹底して飼育しています。

採取した蜂蜜は自宅の作業場に持ち帰り、衛生管理の行き届いた場所で遠心分離作業を行い、新鮮な状態をマイナス5度で凍結保存。出荷直前に解凍することで鮮度を保つという徹底ぶり。それもこれも「安心して口にできる」ことに、松原さんがこだわり続けているからこそです。

はじめの一歩、そして今

脱サラして養蜂をはじめ、東京から広島に移住するというとき、松原さんは妻にシミュレーションして「生活はこれまでと変わらない」ことを納得してもらったそうです。「妻も、僕が言い出したら聞かないことはわかってるので…今ようやくサラリーマン時代の年収にこの事業の年商が追いつきました」

こうしてはじめの一歩を踏み出した松原さん。今、改めて「人付き合い が大切だって分かりました」と言います。「他の生産者の方、商工会の方をはじめ、色んな人と関わることになりました。いろんな仕事があって、いろんなことをしてお金を稼ぎながら生活している人がいるんだなぁってことが分かったんです」と、これまでの歩みを振り返りながら、今の想いを教えてくれました。