大自然で育ったわたし、自由と好きを求めつづけた人生は、再び大自然へ。

河田 朋子さん

大阪出身日本全国育ち 兵庫県西宮市郊外に在住。 北海道の大自然の中で自由奔放に育ち、幼いころから枠にはまることが苦手な性格。留学など経て外資系グローバル企業などで働き、40代後半で自分らしい心地よいライフスタイルを作りたくて、次の10年で人生の方向転換中。生まれた時から動植物と暮らし続け、15年共に暮らしている相棒の木は仕事部屋の大切な仲間

今の暮らし

会社員を辞め京都の小さな町で3年ほど地域おこし協力隊として地域創生の現場を経験。その後は主に都市部の幅広い世代から移住を視野にいれた全般的なライフプランについて移住アドバイザーとして対応しています。また社会人有機農業学校のスタッフとしても月2回勤務、夏の畑では時々裸足。刺す虫がいても死ぬほどのことじゃないのでそのまま(笑)子供時代から足の裏で感じる大地と自然とつながるような幸せ感が好きです。

会社員時代と変わったことといえば、複数の働く場所を持つというスタイルと自然身近に感じる生活。過去の経験も生かしつつパラレルワークスタイルを少しづつ作り上げていけたらなぁと思っています。それでこじんまりと楽しく生きていけないかな。

1日三度普通に食事を作り「箸置きのある食卓」を実践中。些細なことですが何か大切なことのような気がしています。週に2日は安息日。今の自分の体力や体の変化年齢を考えて無理をしないこと、楽しむこと、持続できるスタイル、を心がけています。風邪気味かなと感じたら体を温める食事をとりタイミングよく体を休めています。住まいに関しては窓から森の木々や山がみえ季節を感じること、ここは譲れません。仕事を終えて30分で温泉があること、野鳥の声で目覚め虫の声で床につくこと1時間足らずで大阪神戸へ出れるところもとても気に入っています。

大自然で野生児だった子ども時代

父が転勤族で、数年おきに福岡から北海道まで、小学校では5回転校を経験。これまでに20回も引っ越ししました。両親が無類の自然好きで、転勤族ながら住む場所は街中ではなく郊外の田んぼや自然に囲まれた場所ばかりでした。どこで暮らしても家の中も外も生き物だらけ。

小学生5年から北海道に移りさらに野生児化、放課後は馬と遊び子どもが思いつくいたずらや冒険は全てやりつくしました。常に3兄弟でやんちゃするので、目立つ上にいたずら度合いも増して、校長室に呼ばれたことも。森では崖や木から落ち怪我したり池にはまったり自然の中で野生動物の存在を感じながら五感で森と遊んでいました。今でもその感覚は大切にしています。

海外留学で日本にはない価値観に衝撃を受ける

親の影響もあり子供の頃から海外に目が向いていました。初めての外国、アメリカに1ヶ月半滞在した経験は、10代の私にとって広い世界への扉が開いた瞬間でした。滞在最終日に学校の先生から”You have a talent”と言われたことは忘れられません。日本では悪いところをダメだしされるのが普通でしたので、正面から個性と才能を褒める、他とは違う可能性があるから伸ばせ、という指導は新鮮でした。素のままの自分でいいという解放感、充実感、一方で今までにない視点から考える、なぜそうなのか、自分の考えを伝えるということの重要性、アメリカの多様性、こんなに違う世界・価値観があるのかと溢れる好奇心を自覚しました。

自分が活きる場所を求めて

社会人として最初に勤めたのは日本の老舗メーカーでした。家族的でしたが当時の昭和的働き方や、女性は事務仕事といった型にはまった雰囲気がどこか苦手で合わせつつも息苦しく感じていました。そうなると欧米企業に目が向き、当時は英語が未熟でしたので勉強しながら派遣で商社や外資系の会社を経験した後、自己管理でオンとオフのバンランスがとりやすいドイツの会社へ正社員として転職しましたが正解でした。仕事は好きでしたがキャリア志向や出世欲は皆無でしたね。若い時は縛られたくなくて派遣を選んでいた時期も長かったです。

震災で気づいた、独りでは何もできないということ

20代後半で阪神大震災を経験。一度の大地震で生活すべてが機能しなくなりました。当時、家族と離れて一人暮らしだったため、避難先がなく被災後数か月は友人宅でお世話になりました。日々の生活は会ったこともない多くの人たちに支えられて成り立っていた、水ひとつ自力で確保できない中で「独りでできる」という考えが驕り高ぶったことだと知りました。この教訓は一生涯忘れることはないと思います。

社会人留学で働き方のギャップを体感

その後、結婚・離婚を経て、今後も外資で働くには英語力を高める必要があると思い、30代後半でカナダ・トロントに1年半ほど留学。当たり前に17時に仕事を切り上げるカナダ人のライフスタイルを目の当たりにし、社会人としての留学は「仕事・働く」という点で日本とカナダの職場環境と個人の意識や人生の送り方の違いを色濃く体感しました。

帰国後、同じ様に働いているのにこの充実感の違いはなんだろうと逆カルチャーショックに陥りました。

留学で貯金を使い果たしましたが、あの時間が私の人生に投げかけたものは本当に大きかったです。「リスクはあっても自分の心にしたがって行動することで出会いがあり、未来が予想もしない方向に変わりつづける」を実感する体験で、日々の出会いから広がり続けるご縁は私の人生を彩る宝物です。

人生後半のデザインを描きはじめる

その後も外資系企業で働きつづけ様々な国の人と一緒にチームとして働くことで自分を知り広い視野を持つ事ができ、最高の上司にも恵まれました。一方で休むことなく成長を求められ続ける中で、新しいプロジェクトとプレッシャーで、四六時中仕事のことばかり考え眠れない日も続き体調を崩し一か月休職しました。ここがひとつのターニングポイントでしたね。会社生活で得たすべての経験が成長の場であり、それを手放すのか続けるのか、外資系には解雇も普通にあり得るので、そうなった場合も含め考えに考えて、1年以上迷いました。

50歳にさしかかり次の10年のライフスタイルを今とは違う形で60才になれないものかと葛藤する中でまず自分の好きなことを始めようと思い、仕事は現状維持で週末を利用して有機農業学校へ通いました。ここでもまた生涯の友となるような仲間と出会いがあり、植物を育てるのは子供の頃から得意でしたので心から楽しめました。そして心にある景色、自然の近くで仕事や料理も楽しみたいとの思いは募り、自分らしい生き方をして、元気に愉快に80才まで働いて、色々あったけど面白かったといって死にたいなと(笑)そして会社勤めという生き方を辞めてみることにしました。もったいないよ!とさんざん言われましたが。

お気に入りの丹波の森

退職後、グローバルな世界とは正反対の昔ながらの田舎の農村で、ゼロから人間関係を作り違う世界をつないでいくおもしろみを感じました。子供のころから日本全国を点々としたジプシー経験からの順応性、その後の転職、海外生活、どこでもだれとでも打ち解けられる性格もプラスに働きました。あらためて実感したのは本音で付き合える良い仲間の存在。簡単な仕事も仲間が悪ければ失敗する、困難な仕事でも良い仲間がいれば形になる仮に失敗しても。

外資系勤務というと恵まれた生活のように思われがちですが、決してそうではないです。迷いながら今のライフスタイルになり、働く意味や稼ぐ意味も少し変わりましたが、何が一番変わったかというと自分の未来で、この先どうなるかは正直わかりません(笑)

これからも未来も変わり続けていくと思いますが、60才過ぎたらこんな楽しい生活になってた、となればいいかな。困ったとき厳しくも優しい信頼できる仲間がいればなんとかなる。あと10年早く今の生活をはじめても良かったかなと思いますが、”人生、塞翁が馬” その都度の決断がその時の自分ですよね。

大切にしていること

一期一会 仲間
自然と離れずにいれば物事の本質を見失うことはない
人がなんと言おうと自分の心の声を聞き心の目を信じる。良いときも悪い時も健全な人間関係を積み重ねたてきた友人・仲間。20才から一貫して「一期一会」年齢を重ねるほど意味の奥深さを実感しています。

何があっても生き抜いていく 切り拓く この先行き止まりという看板が見えたら、裏返して「仲間と一緒ならなんとか通れます」に自分で書き換えちゃえ!

楽しく生きる Enjoy whatever you do! どんな時でも楽しむことを忘れない強い笑顔な心。 つらいときに無理して笑う必要はないけれど、明るいところに人も虫も集まり、希望が生まれ動き出す。ハッピーな人には自然とハッピーな人が集まる。人としての優しさや強さといった価値観を共有できる友人とこれからも生きていきたい。 

お気に入り

・私流に現代を生きる 堀文子
・チェ・ゲバラ伝   三好 徹
・たしなみについて 白洲正子
・ソロモンの指輪  コンラート・ローレンツ
・昆虫はすごい  丸山宗利
・The Beautiful Edible Garden
・Attainable Sustanable

鉄瓶の急須は母から、茶筒は北陸の職人さん手作り。巧の技で作る現代的なデザインに魅かれました。

大好きな花ミモザと愛猫

すてきなあの人

リー・ミラー 20代の頃好きでした

堀 文子 日本画家 歳を重ねると誰かの生き方を参考にするというより自分自身と向き合った生き方を大切にしているので、今は特にありませんがあえてお伝えするなら親友二人の生き方